児童文学作家の角野栄子(かどのえいこ)さん。
出典:https://www.nhk.or.jp/shutoken/yokohama/articles/101/019/54/
代表作「魔女の宅急便」をはじめ、250を超える作品を生み出し、90歳になった今も活躍。鮮やかなメガネとワンピースがトレードマーク!
今回は角野栄子と夫は既に死別している?病気や娘についてもまとめた!
という事で、角野栄子さんの旦那さんやご自身の病気、子供について情報をまとめました。
角野栄子の夫は誰?現在も生きてる?
角野栄子さんは1958年にご結婚されています。
まずは角野栄子さんの結婚相手についてわかっている情報を見ていきましょう。
角野栄子の結婚相手、現在は?
角野栄子さんの結婚相手はインテリアデザイナーの男性で、現在もご健在のようです
角野栄子さんは、早稲田大学教育学部を卒業して、紀伊国屋書店出版部に勤務し、一年後の23歳で結婚されています。
翌年の1959年、夫婦で「世界を見てみたい」という思いを叶えるため、2年間自費移民としてブラジルへ渡ります。
自費移民とは
1959年当時、個人での外国への渡航は難しく、ビザが出ない。その代わり、日本国内の人口増大により移住が奨励されていたため政府移民ではなく、渡航先で知り合いを見つけて呼び寄せてもらう移民の形。
戦後、言論統制が解かれて欧米文化がどっと流れ込んできた当時の日本。
多くの若者が「実物を見てみたい」、世界と自分達を比べてみたいと思っていたんだそうです。
とはいえ、なかなか実行に移せる人は少なかったと思いますよね。
ので、ご夫婦ともに好奇心が強く、実行力・決断力が旺盛だったんでしょうね。
当時工業デザイナーだったご主人は
「新たな首都として建設中のブラジリアを見たい」
と言っていたんだとか。
お父さんにも心配されたそうですが、角野栄子さん自身は

知らない世界に飛び込んでいくのはちっとも怖くなかったですね。これからどんな暮らしが始まるのか、むしろワクワクしっぱなし
現地で言葉を習って仕事を探し、夫婦で働いてヨーロッパを旅してから帰国のための貯金をしたそうです。
現地に行ってから…ってすごい行動力ですよね!悩む前にまず行動…というタイプなんでしょうか。
このときの経験は、角野栄子さんに「どこでも生きていける」という自信をくれたそうです。
また、角野栄子さんは、娘さんが4歳のときに、幼稚園を休ませて2人でヨーロッパ旅行に出かけています。
宿泊先も決めず、スペインやスイスなどを2ヶ月転々とするものだったとか。
この際の角野栄子さんの決断にも、ご主人は「いいよ」とOKを出してくれたそうです。
なかなか寛容な…というか思考が新しく、クリエイティブな感覚の方なんでしょう。
角野栄子さんのお仕事が波に乗り、多忙になってくると、仕事で家を空けることが増えました。
娘のこと、家庭のことを角野栄子さんは夫の対して申し訳なく感じていたようですが…
(妻のやることに口を出さず)黙っていることが応援だと思っていたんじゃないか…と慮る角野栄子さん。
何か口出しすると(角野栄子さんが)ブレるから何も言わないでいてくれた
ありがたかったけれど、「もう少し何か言ってくれてもいいのに」と思ったことはあったそうです。
理解があって、不器用だけれどとても優しいご主人だったんではないでしょうか?
そして、角野栄子さんが児童文学のノーベル賞と言われる「国際アンデルセン賞作家賞」を受賞した2018年。
出典:https://kadobun.jp/feature/readings/467.html
ギリシャ・アテネで開催された授与式に、このファッションをスタイリングした娘さんはお父さんと留守番。
レセプションや取材などもあり、滞在5日間の服をコーディネートして、個別にパッキングして、送り出したときは、もうへとへと。父も母の受賞を喜んでたと思うんですけど、疲れてそんな話をする余裕もなかった(笑)
とコメントしています。
つまり、2018年当時はお元気だったことが確認できています。
離婚していた
お二人は角野栄子さんが50歳の時に離婚されています。
角野さん曰く「いろいろあったけれど、現在は仲良くしている」そうなんです。



時々、食事を一緒にします。信頼できる友人になりました
友人たちに「不思議な関係ね」と言われることがあっても、二人が選んだ形で、お互い自立できたんだとか。
夫婦という形だからこそ生まれてしまう「相手に期待しすぎる」感情が、解消するとなくなる…ってよく聞きますね。
角野栄子さんは友達がいないと寂しいタイプですが、ご主人は一人の時間を楽しめる人なんだそうです。
ちなみに角野栄子さんの本名は「渡辺栄子」さん。
1981年刊行の「ブラジル、娘とふたり旅-ブラジル紀行」は、イラスト・渡辺リオとクレジットがあります。
出典:https://bookmeter.com/books/12332326
イラストお上手ですね~
おそらく娘・リオさんのことで、離婚前のことですのでご主人の姓は「渡辺」さんかもしれませんね。
離婚後にも角野栄子さんの書いた本が出版されると



キミ、本をくれないんですか?
とリクエストされ、本の誤植を見つけてくれた事もあるほど読み込んでくれるそうです。
父と娘の関係も悪くなさそうですし、話題に出てこないのはご主人が一般の方だから?
2018年以降のことはわかりませんでしたが、マイペースでお元気に過ごされているのではないでしょうか。
角野栄子の病気とは?
角野栄子さんには「病気」の噂があるようです。
角野栄子は闘病しているの?
今年90歳を迎えた角野栄子さん。
年齢から想像されるのか、角野栄子さんには「病気」の噂があるようです。
結論としては
角野栄子は喘息の持病があるものの、特に病気の事実はなく、すこぶる健康体
ということで、特に大きな病歴・手術歴は触れられていませんでした。
ちなみに喘息の症状に関しては



近頃自分の声がかすれてきたように感じていて。若い時にはもう少しいい声だったのよ(笑)
とのコメントくらいなので、深刻な症状というわけでもなさそうですね。
闘病説がある理由として、高齢以外に混同されていそうだな…と思われる事由がありましたので紹介します。
闘病疑惑理由① 実母と5歳で死別
角野栄子さんは、5歳の時に実の母親と死別しています。
お母さんの死因は病気によるものだったそうです。
若くして亡くなられたお母さんの死は、角野栄子さんに大きな影響を与えました。
小さいころはべそべそ泣いてばかりの子でした。父や姉や弟が突然死んでいなくなっちゃったら、どうしようという怯えがずっと消えないのね。集団生活もうまくできなくて、ウソついて授業の途中で帰って、先生を困らせたりしてました
と、親しい人との突然の別れにおびえるこどもだったそうです。
そんな時は、お父さんが本を読んで慰めてくれたそうですが、ひとりで空想して遊ぶ子でもあったそうで
そういう子って見えない世界に憧れる。特に昔は、月命日やお盆の行事があり、見えない世界を想像するきっかけがいっぱいあったから
そうやって、現実には存在しない「お母さん」を感じようとしていたのかもしませんね。
出典:https://news.line.me/
しかし同時にこれが、角野栄子さんにとっての「作家の原点」となる体験になったわけです。



母は亡くなっても、大きな贈り物を私に残してくれたんですね
ただ、母と娘は共通点が多いものですし、お母さんの情報が角野栄子さんの病気説を連想させたのかもですね。
ちなみに、ネット上で角野栄子さんはロシア人とのクォーターなる話がありましたが、これは全くのデマです。
2018年の国際アンデルセン賞作家賞受賞インタビューでロシアの新聞社から



あなたにはロシア人の血が入っているってうかがいましたが?
と質問された際に
でも、ぜんぜん違うのよ(笑)。フェイクニュースね
とご本人が否定していました。
角野栄子さんは色白な方ですし、「ハーフ」とされたお父さんもそれっぽく見えますからね。
出典:https://news.line.me/
ですが、お父さんは召集令状が届いて兵役についていますから、間違いなく日本人です。
日本人でも彫の深い端正な顔立ちの方はいらっしゃいますからね。
まぁ、お母さんに抱っこされた赤ちゃんの角野栄子さんが「ロシア」を感じさせるのも分からなくはないですけど…
角野栄子さんはロシア人のクォーターではありませんでした!
闘病疑惑理由② ルイジンニョン少年との再会
ブラジル生活をスタートさせた頃、同じアパートで親切にしてくれた少年一家がいました。
角野栄子さんは彼らに
- ポルトガル語
- 買い物の仕方
- サンバの踊り
などを教えてもらい、少しずつブラジルに溶け込むことができたそうです。
そんなルイジンニョ少年一家は突然引越しして消息不明に。
20年後に娘さんと一緒にブラジルへ再訪した時も探しましたが、見つからなかったそうです。
それが、最近になり角野栄子さんの担当編集者がFacebookを通じて一家を発見!
(ルイジンニョ少年のお母さんが歌手として成功していて、辿り着けたそうです)
カワイイ少年だったルイジンニョさんは、60年の時を経て大学教授になっていたんだとか。
出典:https://artexhibition.jp/



私が“お・ど・ろ・き”ってメールを送ったら、“自分でも、お・ど・ろ・き!!”って返事が返ってきたわ
35歳の時のデビュー作「ルイジンニョ少年ブラジルをたずねて」のモデルさんですね。
出典:https://kiki-jiji.com/



僕の一番幸せなときを栄子は本に書いてくれた
実は、この感動的な再会も、ルイジンニョさんが本当に来日できるのか…などギリギリまで不安があったそうです。
なにしろ、ルイジンニョさんが直前に体調を崩して、大きな手術をされていたとか。
つまり、ルイジンニョさんの健康不安が、そのまま角野栄子さんのことだと勘違いされているのかもなんですね。
自由な感性で、いつまでも好奇心旺盛
角野栄子さんのモットーは「自分にとって気持ちがいいもの」
遊ぶように暮し、書き、毎日を心地よく暮しているそうです。
つまりストレスフリーということですよね…これは健康だからこその生活スタイルです。
終戦によって体験した、窮屈や我慢から解放
この自由な気分はもう絶対手放したくない!
という思いが発端になっているんだとか。
健康法
角野栄子さんが大病知らずでいるには、独自の健康法がちゃんとあるから。
- 規則正しい生活
- 散歩
- 食事はしっかり摂る
なんだそう…「睡眠・食事・運動」やはり基本がたいせつなんですね!
ちなみに1日のタイムスケジュールは
- 8時起床
- 食事は3食同じ時間
- 仕事は15時まで
- 15時以降は散歩・読書・買い物
と大まかに体内時計が決まっているようです。
散歩は自宅のある鎌倉の由比ガ浜や、その周辺を杖なしですたすたと歩いているそう。
散歩はコースを決めず、空想を楽しみながらいろいろ歩くのが好きなんだそうですよ。
そして、食事はお蕎麦が好物で、お肉もぺろりと食べて周りを驚かせるんだとか。
子供のころから、3食しっかり食べないと機嫌が悪くなるんだそうです。
さらにまだまだ意欲的に挑戦したいことがたくさんあるようで、



すごくきれいなラブストーリーが書きたい。89歳のおばあちゃんがラブストーリーなんていいでしょう
多忙に人生を楽しむ角野栄子さん。
サポートする娘さんいわく
“とりあえず、ころぶな”。元気には見えますが、気をつけてもらわないと。
元気さに体がついてこない…ゆえのケガにはくれぐれもお気を付けください!
ただ、2024年8月に約3ヶ月振りの投稿で
ちょっと病気をしてしまって、ご無沙汰してしまいました。もう元気になりました。心配しないでね。
とあるのが少し気になりますね。
出典:https://www.instagram.com/p/C-wbk7Xy_5A/
投稿された近影を拝見する限り、お元気そうにみえますので本当に大したことはなかったんでしょう。
くれぐれも無理をなさらず、ご自愛くださいね!
角野栄子の娘情報も調査!
角野栄子さんと結婚相手の間には子供が1人います
1964年、31歳で長女を出産した角野栄子さん。
長女も現在は作家・アートディレクター「くぼしまりお」として活躍されています。
出典:https://www.yomiuri.co.jp/otekomachi/20240126-OYT8T50033/
くぼしまりお
- 1966年東京生まれ
- 明星学園小~高校、文化学院美術科卒業
- 作家・翻訳家
娘さんの名前、「リオ」はブラジルのリオ・デジャネイロから取ったそうです。
響きもカワイイし、さぞお気に入りの名前かと思いきや…
小さいころ、リオって名前はイヤでしょうがなかったです。昭和40年代生まれの私たち世代はカタカナの名前は少なくて、目立っちゃうし。せめて漢字にしてほしかった。
なるほど…ご本人は「目立たない」名前が良かったんですね。
ただ、未熟児で生まれて、高度治療設備のある病院へ運ばれたくらい命が危なかったリオさん。



名前のないまま死んだらかわいそうだと、漢字を考える暇もないままつけた名前なのかなぁと、納得するようにしてました
すごい着地点ですね…想像力はお母さんゆずりなのかも。
5歳で母を亡くし、母親の記憶の無い角野栄子さんは、リオさんが生まれた時とても困ったそうです。
どう育ててよいのか分からず、本に頼ったり考えたりしなければならず、うまくいかなかったと語っています。
そんなお母さんについて「どんなお母さんでしたか?」との質問に



一言で言えば、面倒くさかったかな。
未熟児で生まれ、風邪もひきやすかった娘のことを「心配で干渉しすぎた」と角野栄子さん。
その結果、大人になってから「実はあの時…」と打ち明けることが多かったそうです。
その①ヨーロッパより原っぱ
リオさんが4歳の時、2カ月ほど母子ふたりでヨーロッパを満喫しました。
好奇心旺盛な角野栄子さんは娘にもいろいろと体験させたかったようですが、
ヨーロッパより原っぱがいい
とリオさんは嫌がったそうです。
ちょっと早すぎたかもですね…
その②ランドセル事件
良かれと思って、軽いのを探して与えたランドセルが、みんなと違っていじめられたリオさん。
そんなに寒い日でもないのに「ママ、寒い」と言って泣いた日があったそうです。



きっとその日だね。言ったら私が心配すると思ったんでしょう



覚えてないけど、言うとママがうるさくなると思ったんだろうね。
その③実は読書家
漫画が大好きで友達と「交換漫画」を描くくらいだったリオさん。
母は「本当はもっと本を読んで欲しいな」と思っていたけど、口にすることはありませんでした。
ところが、後から学校の図書館で古典からなにから、すごく読書をする読書家だったことが判明。
母に相談せずとも、友達との世界だけで完結していたようです。
そんな母子関係だったリオさんですが、お母さんに感謝していることがあるそうです。



ママの子育てで、唯一成功したことは私を明星に入れたことだ
近所の小学校に通っていたリオさんは、数字が絵にしか見えず、算数が全然わからない子だったそうです。
掛け算を習う段階になって「2×0=0」がどうしてもわからない…と。
だってママ、2っていう数があるのよ。何にもないものかけたって2は残るでしょ。どうして0をかけたら2は消えちゃうの?
哲学のようですね…聞かれた角野栄子さんも困って、たまたま知り合いだった明星学園の先生に相談します。
その先生の説明を聞いたリオさんはズバッとすっきり理解できたんだそう。
この体験をして、小学校の途中で明星学園に編入することになったそうです。
編入前はランドセル事件もありましたしね、子どもにピッタリの出会いがあってよかったです!
作品のヒントはいつも娘から
リオさんも、幼いころからよくお話を創作する子でした。
デザイナーだったお父さんがもっている色見本を見て、たくさんの色があることに驚いたリオさん。
お風呂に入るたびに、カエルが色々な色に変わる話をしていたそうです。
その中でよく出てきた言葉、
「あっちに行って、こっちに行って、そっちに行ってね、」
からヒントを得て、角野栄子さんの大人気おばけシリーズの名前になったそうです。
出典:https://www.suruga-ya.jp/
また、代表作のひとつ「魔女の宅急便」もリオさんが12歳の時に描いた魔女の絵が創作のきっかけになったそう。
出典:https://news.line.me/
ちゃんと世界ができてますよね、ステキなイラストです!
魔女のほうきぶら下がったラジオから音符が出ていて、角野さんにはそれがとても魅力的に思えたんだとか。



鳥の目から下の世界を見てみたいという気持ちがあったから、娘と同じくらいの年の魔女を書いたら私も飛べる!それはすごく楽しいに違いないな
と思ったのがきっかけでした。
このイラストは、リオさん自身もお気に入りで画板にはさんで大事にとっておいたんだそう。
それがある日突然消えてしまったことに気付いたそうです。



10年後ぐらいに映画化されたとき、私の絵がきっかけになったということを初めて知りました。きっと勝手に持ち出して、保管してたんでしょう
本や展覧会で公開されているイラスト、リオさんは「私の版権は?」と詰め寄りましたが
これのおかげで、あなたの学費が出たのよ
とごまかされ続けているそうです。
また、角野栄子さんのデビュー作「ルイジンニョ少年ブラジルをたずねて」は、リオさんとのブラジル旅行から。
14歳になった娘に、名前のルーツであるリオ・デジャネイロを見せたいと思ったからだそうです。
そう思うと、手探りの子育ても案外「わくわく」の連続だったんじゃないかな?と思いますね。
母の作品は読まない
実は「魔女の宅急便」を読んでいないリオさん。
ご自身が作品を書き始めたのは、お母さんの影響ではないというリオさん。
結婚して、パートナーの仕事の関係で外国暮らしが長かったため、日本語の本が読みたくなり自分で執筆するように。
人の言葉を話す黒猫が活躍する『ブンダバー』シリーズを「くぼしまりお」名義で発表します。
出典:https://books.rakuten.co.jp/
読者の中には「お母さんにそっくり」という人もいるそうです。
角野栄子さんがバリバリ作家として仕事し始めた頃、リオさんは反抗期真盛りの高校生。



もう児童書を読む年齢ではなかったというのもあるし、反抗期で“母が書いたものを読めるか”っていう気持ちもありました
角野栄子さんは、作家のフィリパ・ピアスさんと「娘は本を読んでくれない」あるあるで盛り上がったらしいです。
なので、その後もあえて角野栄子さんの本を読んでいないんだとか。
その理由というか、理由の発想がすばらしいんですけど
ひとりっこの私が将来、父も母もいなくなったときに、読んだことのない母の本が、たくさんあったら、寂しくないかなぁと思って。だから、『魔女の宅急便』はまっさらのままとってあります
一理ある気がしますね。
そう考えると、作家のお母さんって羨ましいです…
今ではケンカのもととなる家事は角野栄子さん自身にやってもらい、洋服などのコーディネートを担当しています。
角野栄子さん行きつけのセレクトショップ「リミィニ」のオーナー・広田さんいわく
リオちゃんはとてもお母さんのことを気遣ってらっしゃいますよ。栄子ちゃんも、“リオの許可がないと、服が買えないのよ”と、欲しい服があると、写真を撮ってリオさんに送って相談してます。“却下”が多いみたいですけど(笑)
と、愚痴を言いながらお互いを思いやってるいい親子関係だとコメント。
角野栄子さんの制服のような、かわいらしいワンピースも紆余曲折を経て辿り着いた完成形。
リオさんの友人が一枚布から制作しているオーダーメイドだそうです。
今では「EIKOFUL」というブランド名で、オンライン販売もしています。



カラフルで、軽くて、楽しくなるお洋服が欲しい!
という願いを叶えるべく立ち上げ、シニア世代をオシャレに見せるカラフルなワンピースのブランドです。
育児はうまくいかなかった…とおっしゃってる角野栄子さんですが、いやいやかなりの成功例だと思いますよ!
まとめ
今回は角野栄子と夫は既に死別している?病気や娘についてもまとめた!
という事で、角野栄子さんの旦那さんやご自身の病気、子供についての記事をお届けしました。
- 角野栄子さんの夫はインテリアデザイナー。離婚されましたが、仲の良いおふたりで、2018年時点で健康でご存命なことが確認されています。
- 角野栄子さんの病気は、持病の喘息と2024年に3ヶ月ほど病気のため活動を休養した以外の事実は発見されませんでした。御高齢ですが、「規則正しい生活・適度の運動・旺盛な食欲」で元気いっぱいに過ごしていらっしゃいます。
- 角野栄子さんの娘さんは、作家で翻訳家の「くぼしまりお」さん。現在は執筆活動以外に角野栄子さんのスタイリストやワンピースブランドの運営まで担当されているようです。
以上の内容がわかりました。
最後までお読みいただきありがとうございました。